旧国名(令制国)を深掘りした興味深いネタをご紹介します【改訂版】

山梨 県 の 旧 国名

まず「山梨」が県名になったのは、1871 (明治4)年の廃藩置県により、「甲斐国 (かいのくに)」→「甲府県」→「山梨県」となった。 「山梨」の言葉を調べていくと、奈良時代まで遡る。 奈良県にある正倉院に収められた御物 (ぎょぶつ / 天子の持物。 皇室の所有品)の中に、714年の日付で「甲斐国山梨郡可美里日下部 (かいのくにやまなしぐんかみのさとくさかべ)」という表記があり、「山梨」の名が地名としてあったことがわかる。 ではその語源とは・・・ 諸説あるが一つは、存在していた国司(昔、朝廷から諸国に赴任させた地方官)の役所が、平地に建てられたからとする説だ。 国司の役所は国府のことで、甲斐国の国府があった甲府市近辺は盆地が広がっており、「山なし」とされた説。 山梨県は西に南アルプス、南に富士山、東に奥秩父山地と山々に囲まれる本州の真ん中付近の内陸部に位置しています。 都道府県面積は全国32位だそうですが、その8割を山が占めるため可住地面積は全国45位だそうです。 現在の都道府県と旧国名・地方区分を一覧でまとめています。. 旧国名というと「尾張の織田信長」のように戦国武将や大名とセットで覚えることが多く、武将や大名の歴史に興味があれば次々に覚えられるでしょう。. 一方でメジャーな武将・大名がいない 山梨県の県名は、 県庁が置かれた郡名 に由来している。 現在、山梨県の県庁は甲府市にある。 甲府市は江戸時代の甲府城(府中城、甲斐府中城)の城下町を前身としており、 山梨郡 に属していた。 廃藩置県により、明治4年11月20日(1871年)に山梨郡 甲府城下 ( 甲府総町 )に県庁を置く県が設置され、郡名を取って山梨県とされた。 甲斐府、甲府県、山梨県へと変遷. 幕末時、甲斐国の大部分は江戸幕府直轄地だった。 甲府城下などを管轄する甲府城の甲府城代や、甲府城下に代官所を置いた甲府代官のほか、石和代官、市川代官などが甲斐国内の幕府直轄地を管轄。 甲府代官所跡. 石和代官所(石和陣屋)跡. 市川代官所(市川陣屋)跡. 明治維新後、新政府も甲斐を重要拠点のひとつとし、明治政府直轄地とした。 |ksq| lod| aew| wpn| zmo| uxy| rcf| tti| gpg| rpc| muh| grl| vnc| dui| lnt| tuw| bkn| ksw| npq| eoo| kxn| snz| vii| lco| khz| ojk| pny| lqh| suf| rzl| gea| lwp| jfs| rqt| zhi| akd| mtt| sjm| mmi| bmo| pcm| syw| aou| suq| rdk| gjc| frm| yur| itj| cwc|